※4/26動画追加。
この度はありがとうございます。
人は必ず、「その日」がやってきます。
僕の宗派、浄土真宗では、白骨の章というのがあります。
宗派等に関係なく一読いただければ幸いです。
ご紹介します。
それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、凡そはかなきものは、この世の始中終、幻の如くなる一期なり。
されば未だ万歳の人身を受けたりという事を聞かず。一生過ぎ易し。
今に至りて、誰か百年の形体を保つべきや。
我や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず、おくれ先だつ人は、本の雫・末の露よりも繁しといえり。
されば、朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり。
既に無常の風来りぬれば、すなわち二の眼たちまちに閉じ、一の息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて桃李の装を失いぬるときは、六親・眷属集りて歎き悲しめども、更にその甲斐あるべからず。
さてしもあるべき事ならねばとて、野外に送りて夜半の煙と為し果てぬれば、ただ白骨のみぞ残れり。
あわれというも中々おろかなり。
されば、人間のはかなき事は老少不定のさかいなれば、誰の人も、はやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、念仏申すべきものなり。
あなかしこ あなかしこ
意味はこちらです。わかりやすく超訳です。
人の世のはかないようすをよくよく考えてみると、この世は常に移り変わり、まぼろしのような一生です。いまだかつて万年も生きた人は聞いたことがありません。一生はすぐに過ぎてしまいます。今まで、だれが百年の命を保つことができたでしょうか。
私が先か、人が先か、今日かもしれず、明日かもしれません。
今からいのちを終えていく者は、草木のしずくや露のように、気付いた時には落ちてなくなります。
朝には元気な顔であっても、夜には白骨となってしまう身なのです。無常の風が吹けば、ふたつの目は閉じて呼吸が止まり、元気だった顔もむなしく変わり果て、家族や親せきが集まって嘆き悲しんでも、どうすることもできません。また、いつまでも悲しんではおれず、葬送の準備を整えて、儀礼を行い、火葬して煙となってしまえば、ただ白骨だけが残るのです。なんと哀れで虚しいことでしょうか。
このように、人間のはかなさは、若い者も老いた者も関係がなく、すべての人は一刻も早くいのちの行く先を考えて、阿弥陀仏の願いを深く受け止め、南無阿弥陀仏をとなえるべきです。
恐れ多いことです。もったいないことです。
大切なことはたくさん書かれていますが、気になるのは、
人間のはかなさは、若い者も老いた者も関係がなく、すべての人は一刻も早くいのちの行く先を考えて、阿弥陀仏の願いを深く受け止め、南無阿弥陀仏をとなえるべきです
いつか必ず終わりが来る。その終わりがあることを知って、毎日を生きなさい。っと言ってます。
どうしても毎日いつもの生活、いつもの事をやってしまう。
また今度にししょう。またいつか・・
でも、老若関係なく、いつかはその日が来るわけです。
だから、「その日」を意識して生きなさい。
っと言ってます。
僕はこのお経が大好きです。そしていつも忘れます。
ついつい今度にしよう。またにしよう。と。
今回、オヤジについては、ありがたいことにたくさんの奇跡の時間をくれました。
やれるだけのことはやったと思いますが、それでも、
やっぱり、あれもしておけばよかった・・っと思います。
なので、今を本当に大切にして、生きてください。
僕は何度となく忘れます。
今回、これを読んでいただいたあなたに、お伝えできる最大の言葉は何か?
っと考えたら、この事でした。
我慢して生きるのも一生
苦労して生きるのも一生
恨みつらみで生きるのも一生
楽しく生きるのも一生
現実世界、生きなければいけません。
経済的にも健康的にもあるでしょう。
でも、この世に生まれたということ、この時代に、今これを読んでいるということは、
奇跡だと思います。
だから、もう気付いていると思いますが、もう一度、この機会に、
周りに感謝し、自分の人生を豊かにしていただけるきっかけになっていただければと思います。
これが、哲学や仏教を元にした事業プランナーであり、喪主、金澤雄樹の御礼とあいさつとさせていただきます。
2025 4/24
金澤雄樹