DVDがあったので借りてみた。
映画評論家ではないので、良い悪いとかは言わないけど、中々感じるところがあった。
神様といえば、三角論などで「スピリチャルを論理的に考察」と書いてあるように、個人では信じない分けでないけど、哲学プランニングを学んだ僕としては、そのまま信じるわけもいかず。
だってね。
「お金がないんです。どうしたらいいですか?」
っという問いに、
「祈りさない」
ではダメでしょ?
だからといって、完全否定することもなく。
海外では、神様というとキリストなど宗教を表すけど、日本においては、神道は宗教とは異なっている視点になってる。
これがまたややこしい。
仏教は宗教だけど、仏さまを、「神様」とは言わない。
「神様~仏さま~」っていうように、別物に。
この、映画は、無神論者の哲学の教授と、信者である生徒のの話。
一回目の講義で教授が生徒に「神は死んだ」っと書かせることから始めるのだけど、それを書かない生徒が、
教授に、「神の存在を証明しろ」といわれるもの。
最終的には、デカルトの「我思う故に我にあり」のような解決で証明という形をとるんだけど、
結局のところ、具体的証明にはならず。
※方法序説などでてきたけど、ホント教えてもらえてよかったなと感謝。
なにもなければ、意味わからず・・。
見てて、いろいろな視点で感じたこと。
3つの視点で。
1 ストーリーと思惑
2 広告、マーケティングとして
3 神様いるのか?という視点で論してみると。
1 ストーリーと思惑
この物語は、実話から作られたものらしい。
学生を中心とした宗教裁判があり、そこからできたとか。
個人的には最後は違和感というかなんともすっきりしない感じで。
そもそもすっきりしないのが哲学なのかもしれないが。
ただ、そのすっきりしない要因を見てみると、政治的要素が見え隠れ。
親の指示で、顔をベールで隠す女子学生
明らかにアラブ系のイスラム教徒
彼女は隠れて聖書をIPODで聞いているところお父さんに見られて家を追い出されてしまう。
ここに神はいないと。
そして、中国人学生は両親に神はいるのか?と電話する。
中国人の実業家風のお父さん(後部座席に座っていて、一見、役員か政治家にも見える)
そこでは否定される。(のちにメールを貰った時の笑み含みを感じる)
最終的には、神を信じないといっていた教授は不慮の事故で死んでしまうのだが・・。
このストーリーがなんともアメリカぽいなと。
中国とアメリカ、イスラム諸国。
そして、不慮の事故で亡くなる教授に声をかけるとセリフなど。
(ネタバレになるので自粛)
アメリカの映画やストーリーってやはり「アメリカNO1」という傾向が強く、悪く言えばリーダーになりたがる作りになっているような。
最後はみんなで・・みたいな感じ?
2015年の映画。
神を信じるかどうか?っという論点というよりも、キリスト=アメリカという政治的印象が強いのかなって。
あくまでも僕の考えで。
2 広告、マーケティングとして
宗教という観点でみれば、5年ほど前に「神様マーケティング」というマーケティングコンテンツを作った。
個人のブランディングというのは、先生が神になり、信者が門下生や生徒。
そして神様を作るには巫女さん(側近)がいるわけで、この側近によってブランドは作られるのではと。
僕は巫女になる位置ををやってきた。
対面の営業で言えば、ABCで、Aが神様 Bが巫女さん Cがクライアントや見込み客、対象者。
そして、「みんなで」という安心感。
多数派が正しいという多数結論みたいな。
この巻き込み方がうまいなと。
何よりも最後に、短いメッセージをメールで伝えましょうっという。
「神様は死んでいない」というメッセージを。
2名ずつやれば、それをまた伝わり、1000人が2人に送れば2000人。
また二人に送ると4000人
っとたくさんの人に伝えれると。
短いキーワードを送る。
これって、バイラルマーケでもあり、MLMやない?
MLMに関しては、宗教マーケティングだと思う。
聖書のあなたの大切な人を2人に伝えなさい。
みたいな。
MLMの大手企業がユタ州(モルモン教)に多いというのも気になるけど・・。
ただ、この短くて伝わりやすいメッセージというのは、コンテンツやプランニング、
セールスライティングでも必要なのかなと。
オバマ大統領のYES WE CAN
小泉元首相の郵政民営化か反対か
シンプルなメッセージ。
このシンプルなメッセージがいいのかなと。
ちなみに、僕が今やっている実践会では、
「学びたいのか?それても実際に手に入れたいのか?」っと聞いてる。
学びたいのであれば、本屋やネットでわかるし。
実際に手に入れたいのであれば、一緒にやるべきだし。
・・・と。
みんなが・・という集団心理は布団販売の商法(みんなが集まってほしいほしいというやつ)
に、似てるし、特に、日本人の団体力があれば特になじみやすいのかなと。
(みんながやってるに日本人は弱いらしい・・)
そういう意味でも、興味深い映画だった。
3 神様いるのか?という視点で論してみると。
個人的に言えば、いるんやないのかな~っとは思うけど、結局それを証明することはできない。
過去についてはアメブロを参照に。
ただ、証明できないから否定もできない。
証明できるものだけを信じていては、新しい発見もない。
僕が追及して出た言葉は、
「直観から論理的はうまれるが、論理的から直観は生まれない」
神でもなんでもいい。「そう思う」という証明できないことが、証明できたときに論理的になるだけで、
論理的視点を優先すると「そう思う」ということも否定されるわけだから、新しい発見も生まれない。
もしかしたら、今は証明されていないだけかもしれない。
ただ体と心のバランスを考えたときに、心のバランスが体に影響するのは、「病は気から」という言葉や、
病院など偽薬で使われるフラシーボ効果のように、ないとは否定できない。
そう思うと、目に見えないものを否定するよりも、信じてみるほうが、プラスが多いのかもしれない。
ちなみに僕は、去年から神社仏閣への訪問がおそらく100倍増えた。
神社なんて初詣しか行かないし、お寺なんて葬式でも行かなかったが、最近は少なくても、月一回以上は行っている。
御朱印帳も持ってるし。
そして、ご神木や神社を触ってみる。
わかるわけないのに、鼓動が聞こえり、中が見えるような気がしたりする。
ぬくもりを感じたり・・・。
これは錯覚なのかもしれないし、思い込みかも知れないが、こういう感性は文章を書いたり、プランニングをするうえでの多角視点になって、役になっているのかなと。
物事を懐疑的に見るという習慣。
でも、答えが見つからないときは、まずはやってみる。
それが、そのことの証明かなと。
ここの氏神様は相性がいいらしいっという僕の思い込み。
引き寄せの法則やおみくじ、占いもこういう関係かも知れない・・。