昨日は、ふとお世話になっているネイリストをお誘いして、
25年前にお世話になっていた社長に連れてきてもらった寿司屋に行った。
※メンズネイルのテストとして右手だけネイルをしています。
猛烈に寿司が食べたく、それもちょっといいところに行きたかった。
コロナの非常事態宣言でどこも営業していなく、結果、昔いった大衆店に行ったけど、運が良かったのか、
たまたま大将おすすめの大トロが入ったらしく、美味。
前は、金銭的も含め不安になったら、
「ホテルのちょっと高いコーヒーを飲め」といっていた。
少しいいホテルのラウンジでコーヒーを飲む。
そこには平日から1杯1,000円以上のコーヒーがある。
昔、あと1万円や3千円しかない時があった。
そんなときもコーヒーを飲みいった。
そこにいるお客さんは余裕のある人たち。
その人たちの行動や雰囲気を見て、自分もその地位にいるような体験を自分に刷り込む。
自分をだまします。
ところが今になると、ホテルでコーヒーが当たり前になり特別な感覚もなくなる。
そもそも物欲がないので仕方がないのもあるけど。
欲がないのはよくない。(ダジャレではないが・・)
突然 胸が苦しくなり不安に襲われる。
突然、不安に押しつぶされそうなときがある。
もしかしたら名前を付けたら精神疾患の一つにされるかもしれない。
「名前を付けたら固定のコンテンツ」というのであれば、
どんな症状にも、「〇〇病」や難しい名前をとつけたら、病気になる。
※虫歯も「う蝕」と呼ばれるとか。。
突然、胸を押し付けられるような不安。
今幸せなはずなのに、突然襲う不安。
確かに、問題はあるが、その大半は考えすぎで実際に起こらないことが大半だけど。。。
最近、そんなことを思ってきた。
サックスをやっても、何かを衝動買いしても、「心が埋まらない」
仕事や作業をやらなければいけないことがあるが、
一向に進まず、すべてが中途半端になっていることへの自己嫌悪。
そこにさらに迫ってくる、他者からの相談や問題。
- 会社のお金を勝手に使った人。
- 裏で勝手に販売をしてクレームがこっちに来る人。
- 他人には厳しく指摘はするが、自分のことを言われると、逃げたり、動かなくなってくる人。
- 最初は困った顔でも「利用」だけを考えていなくなる人。
- 苦しいと言いながら、僕には費用を払わず、ほかに多額の費用を払って何事もなくやってる人。
- 僕がいないときは偉そうに周りを仕切り、いると静かになって言わなくなる人。
全員が敵に見えてきて、誰も信じれなくなる。
ここまで書いたら、もししたら「それって鬱やん」とかいう人もいるかもしれない。
ここで「鬱」といわれたら「鬱」という病名で固定されてしまう。
医者ではないのでわからないが、悩むことが鬱なら、全員「鬱」予備軍ではないかなと。
親、兄弟、自分自身、そしてクライアントや信じてきてくれる人たち。
余りにも多くなりすぎて、人間だから不機嫌な時もある。
しかし、それを言うと、個々にとっては一つの問題で重要な問題。
それぞれは「自分の問題」が重要であって、「他人の問題」は軽視。
しかし、10人が10個の問題を持ってこられたら、こっちはたまったもんじゃない。
またそれがわかるゆえに、言うこともできず、自分が我慢をして話を聞く。
そして詰まる。。
いつからこうなったのか・・・
いい人でいたい。悪人がモテる理由。
昔はめっちゃ怖がられていた。
相手構わず、道理といえばカッコはいいが、自分の意に反したり納得しなければ、かみついた。
わがまま。
逆に、お金ではなく、そのためなら誠心誠意、体を張って動いた。
周りからは「都合よく利用されている」といわれたことも。
それでも、関係なく動いた。
そして多くの人を傷つけたかもしれない。
でも、人の痛みを知って、相手を尊重するようになった。
10個のお願い聞くよりも1個聞いた方が好感度は高い。
10個のお願いを聞いて1つ断るよりも、
10個断って1つをかなえた方が好感度は高い。
昔はひたすらめんどくさいことは断った。
ある意味、恐怖や威厳、威圧、といった力業かもしれない。
それが嫌で今になったが、それでも答えれない場合がある。
そこで不思議なことが。
10個のお願いを断って1つをかなえるいい人になる。
個人的には10個もやったのに・・となるが、
いつもこのパターンにはまった。
「そこまでやる人はいない。」そう自負するが、それで最後は悪く言われる。
言われても、現実をすべて出せば一つも悪いことはないのだが。。
でも、そうなったとしても、やはり自分の責任で自分が悪いと思う。
たとえ、勝手に何百万円と勝手に使われても、
また、その人個人の家庭や環境の問題でなにかが起きても・・・
判断したのは自分なのだから。
自分が目指している自分とは何か?
何を目指しているのかわからない。
理想もない。
ただ自由に、周りが豊かになり楽しくなり、そして、喜んでもらえるという、
承認欲求の塊の僕にとってはそれが一番幸せ。
何物でもない自分。
何のためなのか?
そうこうしているうちに、不安の溝に落ちていった。。。
夢にでた怖い経営者は自分の理想像?
うたた寝をしたら夢をみた。
テラスにプールがあり、たくさんの人がいてパーティーをしている。
そこに大きな車とバイク、20代後半のセミロングの愛想のいい女性を一緒に来た人。
歳は50歳前後
金髪のオールバック
体は鍛えられていて、身長もでかい。
そしてその人がこのパーティーの主催の社長で、連れているのは彼女さんだった。
盛り上がるパーティーの中、そのおじさんと話した。
活力ある声、どことなく自信満ち溢れる態度。
そして、何とも言えない威圧感。
話をしているときにスタッフが僕のことを、勘違いして悪くいった時、
その人は豹変して、冷たいまなざしで僕を見みて一言、
「そんなこと言ったの?」っと。
夢の中でも珍しく「怖い」と思った。
そして夢が覚めた。
目が覚めて、思った。
あのおじさんは、もう一人の自分ではないかなと。。
”ある”から悩む。”悩む”は”ある”という、幸せな証拠
人がいなければ人で悩むことはない。
生きているから病気にもなる。
そこに人もいなければ、体もなければ、人で悩むことも、病気で悩むこともない。
同じように、今があるから、失う恐怖を感じるのでは?と。
人は得る喜びより、失う悲しみが大きいという心理がある。
「サービスを申し込むと、100円もらえます」
より
「サービスに申し込まないと、100円ずつ財布から減っていきます」
の方が、動きやすいらしい。
以前、海外に何度か行ったとき、日本の当たり前が海外では特別だと感じた。
窃盗、犯罪、殺人などの凶悪犯罪なども日常的に毎日1回か2回はあった。
ニュースでは日本では流れない、「生の戦争」が放送され、薄いモザイクのけが人や死者が写り、
銃を持つ子供たちもいた。
地雷で足をなくした人も大勢いた。
戦争や地雷で両親、親兄弟が亡くなった・・というのも珍しくはなかった。
日々、生きることが目標になり、生きていることが幸せだと感じた。
そう考えたとき、「生きる」というシンプルな目標になり、悩みもなくなった。
正直、海外にいる方がストレスフリーだったし。
そう考えると今は、幸せなんだなと。
そして自分というものを理解せず、
他人に対しての「合意されていない期待」で自分で自分の首を絞めていたんだなって。
以前、信用している人にも、勘違いから責め立てられたことがあった。
その時も誤解とわかったが、全員を巻き込んで僕を責め立てた。
その時は誤解を解くように話し解決したが、大きなショックと、琴線が切れたような感じがした。
所詮、みんな綺麗ごとを言っても「自分」なんだと。
怖いといわれることが嫌だった
怖いといわれることは、恐怖だと思った。
恐怖で人を締め付けてはいけない。
しかし、人だから限界もある。
何のために・・・
そんな時に出てきた夢のおじさん。
自由と権威と威圧。
緊急時にでる自分のような行動力。
平穏無事だからこそ、動きようのない不安。
ある意味、「緊急時の対応」が多い僕としては、それが染みついたのかもしれないが、
この夢を見て、もっと「わがまま」ではなく「適度な開き直り」でいいと思った。
恐怖を感じる人がいても仕方がない。
全員に好かれることは無理。
勘違いして怒る人も放置すればいい。
もっといえば、
「適度な恐怖は秩序を守る」というのは、
マキャベリズムの君主論にもつながる。
消して、恐怖を賞賛しているわけでなく、
恐怖も必要だということ。
昔、バイクのレースをしていたとき、「ビビリミッター」と呼んで重要視した。
ビビリミッターとは、バイクには速度を制限する「リミッター」というシステムがあり、
ビビる(臆する)ことで、スピードがあげれないことを、こう呼んでいた。
ビビリミッターが働いたら無茶をしない。
逆に無茶をすれば転倒し、怪我をする。
勝利より怪我をしないことが第一。
僕の中の理想形が夢にでたのか?
ふとそんな風に思った。
「自分が、自分が・・」とわがままを言うつもりも、周りを強制するつもりもない。
しかし、逆に言えば、自分を殺してまで、他人にする必要もない。
まずは、自分が楽しくなければ、人も楽しめず。
何度か同じことを思っては元に戻って・・と繰り返してきて、
また、繰り返すかもしれないが、備忘録として記述。
おかげで二代目賢者舎の資料を一気に4つも作ることができた。
仕掛け、プランニングは技術も大事だけど、原理原則が大事。
これを進化させ、伝え、ビジネスに貢献することが今の務め。
そして賞賛される承認欲求。
僕は何もしないが、うまくいく方法の視点を伝えることができる。
僕は何もできないが、僕が教えてうまくいったことは多数ある。
賢者舎の”布教活動”始めます。
もっとわがままでいいんやなと。
そう思って、行った、昨夜の寿司でした。
コーヒーで〆。