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【金澤雄樹 遂に44歳になりました】
沢山のメッセージやコメント。
ありがとうございます。
長く書きますが、
ほかの方のように良いことは書いていません。
それでも、一つの読み物として読んでいただければ幸いです。
遂に44歳か・・って感じです。
もう十分な中年です。
20代は自分を最強、無敵だと勘違いして過ごし、
30代は自分の力のなさと理想と現実の葛藤を知り、
40代は非力を認めたうえで、学びと生き様について考える。
そんな感じです。
プランニング、プロデュースというのは、
対峙です。
テーゼとアンチテーゼ。
売り手と買い手。
男と女
表と裏。
常に正と反からのジンテーゼを見る。
AでもないBでもないCというところ。
裏の裏が表で、陰と陽のような。
そうすると、溝にはまるわけです。
プランニングでも葛藤します。
プランニングをするということは、企画やアイデアを形にすることで、ゴールへの設計図を作る。
でも、その瞬間は希望を与えれますが、
この希望を与えた瞬間に、できなかったときの挫折を味わうきっかけを作る。
そう考えると、そもそも希望を与えるのは罪ではないか?
っと考えるときもあるわけです。
結婚があるから離婚があり、
出会いがあるから別れがある。
生まれるから死がある。
全てを自分で操作ができないことに恐怖を感じるときがある。
これは事業でもそうですが、自分で操作ができないことが嫌だから、自営をやっているのかもしれません。
44歳。
老眼も始まり、老いへの恐怖も感じてきました。
自分ではどうにもできない老い。
太陽の塔の岡本太郎さんは、ワイングラスをもって部屋に入ろうとしたとき、
このままだと転んでしまい、大切なワインが台無しになると、思い、ワインを置いてから、転んで、それからワインをもって部屋に入ったとか・・・
このままだと転んでしまい、大切なワインが台無しになると、思い、ワインを置いてから、転んで、それからワインをもって部屋に入ったとか・・・
自分では操作できないアクシデントを、
操作できるようにした逸話で、すごく理解できます。
この思考になると、とても危険。
操作できない老いや死。。。
僕の大好きなコンテンツで、
浄土真宗のお経で蓮如上人「白骨の章(御文)」というのがあります。
そこには、1万年も生きた人はおらず、
誰もがいつ来るかわからない「後生の一大事」の為に、
良かったと思える人生を日々過ごすことが大切。
っと言っています。
そう、どうにもならないことはある。
でも、それはあきらめるということではなく、
受け入れて、今をどう生きるかを考えるのが大切だと。
44歳。
好き勝手に生きて、周りに迷惑もかけ、
また気づかないところで迷惑や無礼もあったかもしれない。
いや、多々ある。
申し訳ないなと思う反面、いま改めて、「後生の一大事」を意識して、今を受け入れ、生きていこうと思います。
コヴィーさんの7つの習慣でも、「自分の葬儀を意識する」
という項目があったような。
まぁ~長々と書きましたが、自分への覚書です。
何度が「もう終わりだ」「もうだめだ」という局面で、
生きてきました。
去年まで毎年メッセージをいただいた方の中には、
今年は「後生の一大事」を迎えていただけない方も多くいます。
こういうご時世。
生きている意味を考えつつ、さみしがり屋のかまってちゃんの僕は、一人でも多くの人の記憶に残るよう生きたいと思います。
「朝(あした)には紅顔(こうがん)ありて、夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり。」
この時代に一緒に過ごせて感謝です。
ありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。
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