毎年、大みそかに住宅街にある小さな氏神様でふるまわれる、甘酒。
何の変哲もなく、ただの甘酒。
大みそかの夜中と翌日の午前中しかふるまわれず、初詣に行くというよりも、
毎年、この甘酒を飲みに行くために行っているぐらいの絶品。
近所のおじいちゃんやおばあちゃんが作るこの甘酒に、
しょうがを少しいれて、一本の箸でくるくる混ぜながら飲むのが恒例に。
正直、この甘酒はどこの甘酒よりもうまいし、この神社のウリになると思う。
実際に僕はこの甘酒のために毎年行っている。
今日、得意、不得意の話をしていた。
実は、この得意とはなにか?不得意とは何か?
っということを僕自身も使ったり考えたりすることがあった。
~は得意。~は苦手。
でも、この得意、不得意って思い込みの概念ではないかなと思ったのが第一ステージ。
事業を始めようとしている人が、「~は不得意だけど、得意なことは何かわからない」
っという話になった。
事業や人の得意ってなんやろうか?
「料理が得意」といって
「飲食店」を経営してうまくいった人がどれだけいるだろうか?
「パソコンが得意」といって
パソコンで飯を食えている人はどれだけいるだろうか?
ほとんど皆無ではないかなと。
得意ってそもそも自分で決めるものではないのではないかなと。
得意というのを、強み 特技 とした場合、意識的ではなく、無意識的にやれるところに本当の得意が存在するのではないか?
「得意」という認識を持っている状態では、そのことに意識をしているため、力が入る。
つまり「頑張っている自分」が存在する
逆に「当たり前」「普通」「常識」と感じること。
価値を体感できない部分にこそ、本当の得意が存在するのでは?
無意識にできること。がつまり、得意であり、その人のウリ・・USPになるのではないかなと。
つまり、当たり前のようにやっていることが、他者から見たら異質や異例、特技であり、
それが当たり前のようにできることが得意になるかなと。
っということは、「真の得意」を見つけるためには、自分の視点では見つからない部分で、
他者から見て「すごい」「特異」な部分が、最大のウリであり、そしてそれは、他者視点からしかわからないのではないのでは?
いわゆる”強み”といわれる部分と相似するかもしれない。
よく僕は、何かのプロデュースをする場合、
その人が「当たり前のようにやっているすごいこと」にフォーカスする。
その人が、当たり前のように無意識に行る「すごいこと」
意図的に「すごいだろう」ということはたいして響かないことは多々ある。
※事業でいえばサービスなど。
でも、顧客や他者視点からみる「すごいこと」は、実は「当たり前」の中に埋もれていて、
当たり前だからこそ、「もっともハイクオリティ」で、努力などの時間をかけることもなく、即効性のある売りになるかなと。
自分で自分の得意を決めることが、そもそもキャパを減らしているかもしれない。
そう考えると、自分の強みや得意は、他者視点からしか生まれず、他者による発掘が必要かもしれない。
強みや売りを発見し構築する。
それもプランナーの仕事かもしれない。
あなたの特技は知りたいためには、
周りから「すごいね」といわれることや、
「助かった」といわれること。
そして
「よく頼まれる共通のお願い」
・・が、あなたの事業やあなた個人の得意かもしれない。
いや、得意は特異で、特に異なると置き換えるとわかりやすいかもしれない。
ここのおばちゃんは当たり前のように毎年甘酒を作る。
おばちゃんにとっては、当たり前のレシピで、誰でも作れるというけど、この甘酒は誰にでも作れるわけはなく。
この甘酒は、ここでしか飲めず、
この住宅街のの小さな氏神様で一年に1回しか飲めない、絶品で、最大のウリだと思う。
たぶん、「氏神様の甘酒」と売りだしたら、売れそうな気が・・・
商売繁盛の龍神様もいて池のある珍しい神社でもあるので・・・。
【音声】
https://kanazawayuuki.com/eeby