今日はある部屋に行きました。
失踪?した彼の部屋。
っでその子のお母さんとも話して。
とてもいいお母さんで。
なぜか、僕が泣けてきてしまい。
まぁ~この話はまた機会があればで。
そこにはたくさんの真新しい本がありました。
勉強熱心だったみたいです。
勉強しても大切なものを忘れていたのかなと。
テクニカルではない大切な何かを。
テクニカル以上に大切な何か。
これはネットを始めた20年以上前から言っています。
「人」だと。
でも、これも経験です。
なので、これを読んだら参考にしてみてください。
経験がすべて。
こんな事を僕は言います。
僕も言われていました。
知識ではなく経験で実践だと。
経験は実践からしから生まれない。
知識からは経験は生まれない。
めんどくさいほどしつこくいっていました。
ちょうど先日賢者舎の今井先生のメールでこんな一文がありました。
経験は学習じゃない。
勉強じゃない。
経験は体験であり、本番だ。
まさにだなたと。
どうしても知識を中心に行ってしまう。
例えば、僕はサックスをやっていますが、知識を先にせず、曲から始めました。
曲をやっているとシャープや♭などの壁にぶつかり、そして知識に行く。
そして経験する。
結果として、練習量がすべてになる。
知識が増えてもうまくいは行かない。
現実は甘くない。
現実はあまくはありません。
想定外がおきます。
この想定外は本や知識ではカバーできません。
現実はそういうものです。
その壁をどううちやぶるか?というのが知識から生まれる智慧なのかなと。
知識があるからうまくいくが、知識だけではうまくいかず、
知識の前に経験があり、経験があるから知識が役立つ。
もっと言えば。
知識があれば適切な行動ができる。
特に年配や知識がある人は気を付けた方がいい。
経験や知識で視野が狭くなる。
柔軟性に欠ける。
これは僕自身にも言えるかもしれない。
知識と経験が、保守にさせ概念を作る。
昔はあーだった。
前はこーだった。
そんなことを出だしたら、注意。
せっかくの新しい経験のチャンスを逃している。
経験が絶対とは言わないし時代によって変わる。
新しいもの取り入れなければ、新しいものは生まれない。
しかし、新しいものが必ずしもいいかといえば、変わらないものももある。
それは、商品や反応は変わっても、どんなものでも最終的には人だということ。
そこへのアプローチ方法が進化していくような気がするし、
その子へのアプローチは経験や知識が必要となる。
手紙がメールになり、LINEになり。。。
説法会からセミナー、講演会になり、オンラインになる。
手法は変わっても最終は人。
手法はテクニック。
最近、この「人」というのがなくなってきたような気がする。
まるでコンテニューできるゲームのような。
経験は一つの点。
僕も今回、経験をしました。
そこから進化しようとします。
逃げの経験もしたでしょう
でも
いい癖ならいいが、「逃げ癖」は解決にはならない。
やめる自由もあるが、続ける意思も大切。
やめる事と逃げることは違う。
今回、僕は、戦うのが嫌で戦わないことが正義だと思ったが、
それは、戦いたくないのではなく、戦いから逃げているだけだったのかもしれない。
戦いが悪ということも、また先入観。
一番よくないのは逃げ。
喜怒哀楽はすべて実践で成り立つ。
情報過多な世の中で、オンラインが普及してますが、
やはり、実践で生きていきたいものです。
これからのキーワードは、これからの時代だからこそ、実践重視で。
痛みも実践の一つです。
経験は学習じゃない。
勉強じゃない。
経験は体験であり、本番だ。